2010年6月26日土曜日

ようやく

のどの痛みもおさまりました。

抗生物質のおかげ?

とにかく、あとはなんとなくかったるい感じが取れれば
言うことなしです。

なんか、術後よりきつかった、今回ののど風邪。

2010年6月25日金曜日

一応

熱は下がったけれど
まだのどが痛いのでファミリードクターのところへ
行ってきました。

血圧は115~80でいつもと同じ。

のどをみてもらうと
やはり腫れているようで抗生物質を処方してきれました。
のどスプレーも。

抗生物質は一日1回、3日間。
スプレーは一日3回。

何とか日曜までに収まってもらわないと。

今夜はたまご&納豆ご飯!
体調の優れないときはやっぱり和食だよね。

すごいことに・・・

なってました。

結局昨夜は高熱にうなされ、
せっかく友人がテレビ観戦に誘ってくれたのに
私はレオ君とお留守番・・・・
Akkyが一人で応援に出かけました。

私が39度の熱と戦っている間、
日本チームはすごいことになっていたのですね~。
結果は3対1で日本が勝利!!夢みたい。

イタリアがぼろぼろだっただけにびっくり!

友人曰く、
静岡に住むイタリア人Rちゃんは
「イタリアが負けたら国籍変える!」とまで言い張って
迎えたイタリア戦も、結果は・・・・・惨敗。ビリ。
日本人になるか!いよいよ!!

次の日本戦は29日の夕方。
この日は・・・イタリアじゃないヨーロッパで観戦予定!

・・・って、まずは体調整えなきゃ☆

2010年6月24日木曜日

なんか風邪気味

ここのところどうも涼しいフィレンツェ。
雨も多いし、雹も降っちゃったりして。

ワールドカップ日本戦の今日はいいお天気ですけど。

ちなみに今日はフィレンツェの守護聖人の日で祝日。
夜は毎年恒例の大?花火大会も。
イタリアチームが勝ったらすごいことになるだろうな~。

私は近くのPubに行って日本戦を見る予定。
こちら時間の夜8時半スタート。
サッカーのことはよくわからないけど、
攻めてほしいな~~。

でも、なんだか昨夜からのどが痛くてちょっと熱っぽい。

朝からのど用錠剤ペラックT錠を飲んで
おとなしくしてます。

2010年6月22日火曜日

滞在許可書巻四

久々の滞在許可書話。

「いい仕事、でも前例がないからだめ」と言われてから数ヶ月、
県庁、労働局、商工会議所に出向いてはあれやこれや説明するも
なかなかいい返事がもらえない。
そのうち、あからさまに「また来たわ」みたいな表情で
迎えるシニョーラもいて精神的にかなりどん底だったな・・・。

こんな時、最後までとことんつきあってくれたのが
古くからの友人で、同じ静岡出身のCさん。
彼女にはどれだけ救われたことか・・・。
へこたれて投げやりになったときでも
「行ってみようよ、聞いてみようよ。私一人でも行くから。」って
まるで自分のことのように前向きに励ましてくれたの!

でも、結局はどこからも連絡はなく、
時間は過ぎるばかり・・・・。
あきらめて別の道を模索しはじめた4月始め、
なんと県庁から一本の電話が来たのだ。

「もしもし、あなたさ、変更手続きどうするのよ」

「あ、言われた書類がそろえられなかったからあきらめます」

「それならそれでちゃんとキャンセルの手続きに来てちょうだい」

「はあ、じゃ今から行きます。」

と言って出かけるも、シニョーラは忙しくて「明日また来て」と。はあ?

なんでキャンセルするのにいちいちまた出かけなきゃいけないのよ。と
ぶち切れた私はそのままほおっておくと・・・

するとまたもや電話が。
「なんで来ないのよ!」

仕方ない。ちゃんと行って終わりにしよう。

「でね、あなた、これとこの書類、そろえられる?」

「あ、はい、明日までなら」
「じゃ、明日持ってきて」

一つは銀行の残額証明書。
Akkyにお金を借りて言われたとおりの金額を用意。

もう一つは住居証明書。
これまた古くからの友人で同じ静岡出身のOちゃんに
イタリア語で作成してもらう。
ものすごい集中力!ものの10分でキーボードたたいて
プリントアウトしてくれたっけ。

その二つを抱えて次の日にまた県庁に行くと
「はい、これが切り替えの書類。
 私には安く日本語教えるのよ~チャオ~~」ってな感じで
見事、のどから手が出るほどほしかったブツをゲット~~。
え~~嘘でしょう???なんで~~~???本物???

それにしてもいったい何だったのでしょうね、あの半年間の苦しみは。
どんなにねばっても首を縦に振らなかったのに
あきらめたとたんに転がり込んでくるなんて。

やっぱりイタリアはミラクルの国。

あ、これで滞在許可書が出たわけではなく、
これを持って今度は警察に行かなければならず・・・。

この続きはまた今度。

2010年6月20日日曜日

Cozze

しばらく病院ネタが続いたけど
そろそろネタ切れ・・・。

おかげさまでだいぶ復活!
アルコールも解禁で~す。

昨夜は、
うちで仲間たちとタイカレー&Cozze(ムール貝)を
食べながらわいわいやりました。
あ~久しぶりにワインが美味しく感じた~~☆
健康第一ですね!しみじみ。

Cozzeは、今Coopの特売で、
2キロで4ユーロちょっと。日本円で500円強ですか。
やすっ!速攻買いました。

で。昨夜のCozzeメニューは酒蒸し。
By Akky。

そして。

Cozze Nightのお楽しみは翌日なのです☆

残りのスープとCozzeで
パスタやリゾットを作るのです。
これが半端なく美味しいからたまりません!

ランチはトマトを加えてペンネパスタ。

夕方ワールドカップのイタリア戦を見た後に
リゾットを食べる予定です。

4ユーロで3食分満喫のCozzeでした。

2010年6月17日木曜日

術後・・・・

手術の次の日。

前日の吐き気が嘘のようになくなり、
じっとしていればさほど傷口の痛みもない。
看護師さんがシーツ交換に来てくれたときも
いすに座ったりベッドに戻ったりする行動はきつかったものの、
歯磨きや顔洗い、洗い流さないシャンプー(これ、すぐれもの!)も
自分一人でできた。
相変わらず隣のシニョーラは相当つらそう。

もちろん昼食はなし。
あれほど気持ち悪かったのに
夕食時にはおなかがすき、
看護師さんに「私の分は?」と催促するも
「明日からよ」との無情な返事・・・・。
あ~切ない。

次の日の朝。
待ちに待った朝食!
出てきたものは・・・・・・・・・
ラスク(味なし)と紅茶。
これじゃ腹はたまらん!

そして昼食。

ここはイタリアですよね?
食の国、イタリアですよね??

しかし出てきたものは
この世のものとは思えない食事・・・。

ジャガイモのプレとミネストローネ。
どうしたらあんなにまずく味付けができるのか不思議なくらい、
まずかった・・・。
しかも全く夕飯も同じメニュー・・・・。撃沈、

隣のシニョーラも
「きもちわるっ!」の連発。

あ~早く家に帰りたい。
ごちそうでなくていいから
普通のご飯が食べたい。

そんな思いで、ひたすらリハビリに励む私であった。

2010年6月16日水曜日

手術当日!

朝6時頃、看護師さんの検温で目が覚める。

いよいよ手術日。
天気は快晴。いい感じ。

朝ご飯はもちろんなし。

まずはシャワーを浴びて、
前日にもらった皮膚保護用のリキッドを自分で塗る。
日本ではこの作業、看護師さんがするらしい。

まだ腸が機能せず、
隣のシニョーラには
「もうないのよ」と慰められる。
うん、きっとそうだ。

まず初めにオペ室へ向かったのが隣のシニョーラ。
「健闘を祈る!」と声をかけていざ自分の出番を待つ。
なんだか落ち着かない。

隣のシニョーラが出て行ってから1時間半くらい後に
私の声がかかる。
「準備はいい?」と。
廊下で待っているAkkyを呼んで一緒に支度。
むくみ防止用のストッキングをはき、
緑色の不織布でできた手術着を着て
運ばれてきたストレッチャーに自分で移動する。

「怖いな~」
「大丈夫よ、すぐに終わるわよ。」と
とびっきりの笑顔で勇気づけてくれる手術室の看護師さん。

手術室前まではAkkyも一緒に付き添うことができる。
前まで来ると看護師さんに
「あなたはここまで。はいBacino!(キス)」と
催促されていってらっしゃいのBacino。
いや~、日本人はどうも照れるね、こういうシチュエーション。

オペ室横で20分ほど待たされてから
オペ室へ運ばれる。

お~、なんと室内はサルサ風の軽快な音楽が流れている。
日本でも部分麻酔の場合は
患者の好きな音楽を流すサービスをする病院もあるらしいけど
私は全身麻酔だから、きっと病院側の趣味だろう。
ま、イタリアらしくてちょっとリラックス。

麻酔の点滴が効いてきたのか
私の記憶は11時前後でなくなっている。
次に気がついたのが、12時半。
1時間半ほどオペ室にいたようだ。

あとで記録を見せてもらうと
実に手術時間はたったの45分だったらしい。

その日は眠気と吐き気の繰り返し。
眠気はいいとして、吐き気は傷口に響く。

隣のシニョーラは
かなり傷口が痛んだようだ。

とりあえず手術は無事終了!!

そもそも・・・

なぜに手術をすることになったかといいますと。

以前の日記に書いた「健康診断」のエコー検査で
異常があることが発覚。

それまで風邪一つ引かないのが売りの私にとってまさに寝耳に水。
自覚症状も全くなし。

検査結果をファミリードクターに渡すやいなや、
「あららら、こんなにたくさん書いてあるわ」って驚いていた。

その後、専門の科に受診し、
そこで手術を勧められたのである。
急ぐものでもないので日本で受けてもいいし、
こちらで受けても・・・ということだった。

またまたファミリードクターに診察結果を持って行って相談。

悩んだ結果、イタリアで受ける決意をする。

そうと決まったら、早速ファミリードクターが
病院受診のための書類を用意し、
それを持って自分で病院に行き、予約を取る。
初めていく大学病院、看護師Mさんにも一緒に行ってもらった。

1週間後に受診のアポが取れ、
今度は一人で受診。
手術の予約を入れて、手術の同意書を書かされる。

予約は2ヶ月後。この時点ではまだはっきりとした日程はもらえず
2週間前に電話をくれると言うことだった。
食べ物や飲み物の制限など、一切ない。

なんだか、病気が発覚してから
どんどん話が進んでいってしまったような感覚で
私一人取り残されてはいないか?って
不安になるときもあったけど
ま、ここイタリアで順調に物事が進んでいるだけでも
ありがたいと思わなきゃ。ね。
3月に病気がわかって、2ヶ月後には手術ですもの。

2週間前にはちゃんと連絡が来る。
当初の予定は5月28日。
しかし、その後、またもや電話が来て
1週間後の6月4日に決定。

その間に、二度病院へ足を運び、
レントゲン、心電図、血液検査、麻酔科受診などを行った。

術前の検査をすべて終え、
入院となったのである。

2010年6月15日火曜日

手術前日

手術前日に入院。

入院の日の朝、事前に渡された下剤を飲んだけど
思うように腸が動いてくれない・・・。

2時半から3時までには入院手続きをしなければならないので
1時過ぎには家をいざ出発。
8番のバスに乗って約30分。
今回入院するのは、
通称Careggiというフィレンツェ大学付属の病院。
入院当日はまだ肌寒くて、ジャケットを羽織っていたな~。

2時半に病院に着き、
入院手続きをして病室へ案内される。
看護師さんに
「あの~、きょうはこれから何をすればいいのですか?」
と訪ねると
「特には何も。でも付き添いの方は3時過ぎたからもう帰ってもらってね。
 夜の部は7時半からよ~」
とのこと。仕方なくAkkyは帰りました。

そのあと、看護師さんに明日の手術時間を聞くも
「わからないわ。明日になってみないと。」
ですって。あは、やっぱりこういうところはイタリアですな。
家族は朝7時から病院には入れるようですが、病室には入れず。
何時から始まるかわからない時間を
ひたすら廊下で待つことになります。

それから夕飯の6時半まで、
だらだらだらだら、ホントにだらだらしていました。

まだ腸は動く気配なし・・・・。

夕飯はスープと煮りんご。
特に美味しくもまずくもなく。

7時半にAkkyと友人のRちゃん親子が来てくれて、
9時までなんとな~く時間が過ぎていきました。

ここの病院は面会時間に厳しく、
食事時などは特に入れてもらえませんでした。
面会時間はあってないようなもの・・・という
病院も多いと聞きますが。


意外にも夜はゆっくりと眠れました。

さすがお慈悲の国

国民保険に加入していなくても(できなくても?)
唯一無料で受けられる医療が「お産」。

親が税金を払っていなくても
生まれてくる子には関係ないということでしょうか、
さすがカトリックのお膝元、イタリア。お慈悲の国。
お産に関わる医療行為に関しては
無料で提供されます。

ですから病院にはいかにも
税金を払っていないと思われる(払ってたらごめんなさい)
ジプシーの方々も堂々と入院していました。

きちんと税金を払っている者からすると
腑に落ちないような気もするのですが、
そこは宗教的な考え方優先で
「困っている人には手をさしのべる」ようです。

そういえば、毎日のように病室にお祈りにくるシニョーラがいて
「あなたはクリスチャンですか」
「はい」というと一緒に神にお祈りを、
「いいえ」というと「お大事に」といって
帰って行く。

すべては神を中心に回っている敬虔なカトリックの国、イタリア。

2010年6月14日月曜日

イタリアの保険事情

今回の手術&入院にあたり、
イタリアの国民保険ですべてまかなうことができました。

といいますか、
国民保険に加入している人は、
入院にかかわる一切の費用がかかりません。
手術のための検査、手術、入院、術後の薬代・・・
これらすべてが無料で提供されます。
確か日本は今、3割負担・・・でしたよね。

特にこちらで生命保険に加入しているわけではないので、
イタリアの保険システムはとてもありがたかったです。

そもそもこちらで病気にかかった場合、
まずはホームドクターに診てもらいます。
ここは病院ではなく、
あくまでも医者と患者がカウンセリングをする場所。
だから必要最低限の医療器具しかありません。
血圧計とか、聴診器とか、予防注射とか。
風邪などは問題ないのですが、ここで解決できない病気の場合は、
このホームドクターの診断書を持って
病院なり、外科なり、耳鼻科なりへ行くことになります。
自分で予約を取るため、時間は少々かかります。 
急を要している人はプライベートの病院へ行き、実費で診察を受けます。
(ちなみに緊急のけがや病気の時は、救急病院へ行きます。)

普段の健康診断等は多少お金はかかるものの、
ホームドクターの診察代、薬代は全くお金がかからず、
安心して生活をおくることができます。

この健康保険はEU共通で使えるようで、
かなり優れものです。

もちろんそれだけ税金を払っているということですけど。
でも、今回のように納税者にきちんとわかる形で
税金が還元されるのならば
消費税等々が高くても納得できます。

2010年6月13日日曜日

初!

生まれて初めて
自分で注射を打ちました・・・!
は~、怖かった。

退院後、30日間は
血の流れをよくするための皮下注射を
自分でしなければなりません。
はじめの5日間は、友人の看護師Mさんに泣きついて
毎日打ちにきてもらいましたが
今夜は彼女も忙しく、
いよいよ本日注射打ちデビューとなりました。

いや~、普通自分で注射なんて打ったことないでしょう?
日本人の我々は。
でも、ここはインフルエンザの予防注射も
薬局で買って自分で打つことも普通で、
結構みんな慣れている・・・・。

教えてもらったとおり、
まずはキャップを取ってエアー抜き。
薬を針先まで押して、いざレッツゴー。
目指すは、左内もも。

あ~緊張した。
でも何とかなるものですね。
何事も経験です。
やれやれ。

抜糸・・・じゃなくてバッコウ

金曜日に再度病院へ。
ちょうど手術から1週間後です。

抜糸ではなく、バッコウというらしいのですが
どんな字を書くのかわかりません・・・。
看護師Mさんが教えてくれました。

傷口には、糸でなく、
なんだかワインのコルク抜きみたいな螺旋状の金具が
ぐるぐるとささっています。
それを取るのが「バッコウ」です。

今時、そんな方法でやるなんてイタリアは後れてるのかしらって
ちょっと不安になったし、
母も「え~、溶ける糸とかじゃないの?」って
驚いていましたが、
看護師Mさんにいわせると珍しくも古くもなく、
病院によっていろいろなやり方があるのだと。ほっ。

バッコウ中に肉が引きちぎれたらどうしよ~~って
結構ナーバスになりましたが、
爪切りみたいなものでぱちぱち切りながら
あっという間に金具を取ってくれました。

「もう明日からガーゼもいらないし、シャワーもしていいわよ。
 消毒もいらないし、水と石けんできれいにしてね。じゃね~」

ってなかんじで、3分も経たないうちに
バッコウは無事終わりました。

次の日、おそるおそる傷口のガーゼを取ってみると・・・・

ちゃんとくっついていました~~(・・・って当たり前?)
傷口は8センチほど。
んん~ん、感慨深い。
私の歴史が刻まれたって感じ。

2010年6月10日木曜日

イタリアなのに・・・

病院ネタは続きます。

いや~、イタリアの看護師さんは
ホント、よく働く!優しい!!明るい!!!
これは、日本の看護師さんと比べているのではなく、
イタリア一般の労働者と比べて・・・ということ。

イタリアってもちろんすべてではないけれど
だらり~~んと仕事してる感じ、あるでしょう?
しかも、お役所なんて外国人相手とわかると
態度変わる変わる・・・。

でも、病院の看護師さんはどこもかしこも
よく働いていました。
患者からしたらホント天使?神様??とにかく
すごいありがたい存在でした。

訳のわからない病院用語で四苦八苦していると、
ゆっくりとわかりやすい言葉で説明してくれたり、
それでもわからないときはちゃんとナビしてくれたり。
しかも、これが笑顔&笑いの要素が入っていていいんだな。
おもしろい。

術前、そわそわしていると
肩を抱いて「大丈夫、すぐに終わるわよ」と
これまたとびっきりの笑顔で接してくれる。

どれほど救われたことか・・・。

退院するときも
「日本に行ったら私のガイドするのよ~~
 ブチュッ」
ってハグハグ。

とにかく好印象の看護師さんたちでした。
ホントお世話になりました。

2010年6月9日水曜日

しばらく・・・

訳あってしばらくイタリアの大学病院に
入院していましたが、
無事退院してきました。

日本と違って、入院期間は恐ろしく短く、
術後の経過がよくても悪くても?
一定の期間と観察を終えると家に戻されます。
私は幸い、経過がよかったので退院が早いのも
納得できますが、それでも、
術後3日目の午後に退院ですから、早いでしょう。
同室のシニョーラも同じ日に同じような手術をした仲間ですが、
術後痛みが激しく、熱も出て苦しそうだったのに、
傷口とお通じのチェックがよかったので
同じ日・同じ時刻に仲良く退院しました。


日本が2週間はかかる入院のところをイタリアは5日程度。
病院では、病院でしかできない治療・看護をし、
それが終わると自宅での療養となるようです。
ですから、家での処方箋の中に、飲み薬のほかに
注射接種があるのです。
きっと、日本はここまで完了してようやく退院となるでしょうから、
入院期間も長くなるのでしょう。
注射接種なんて自分でしませんものね、普通。

どちらがいいのかはわかりません。

日本の手厚い看護も患者としてみればありがたいことですが
一方でベッド待ちをしている患者さんが多いのも事実ですよね。
確かに、イタリアの倍以上入院していることを考えると
納得できますが
果たしてこれでいいのかどうか・・・。

隣のシニョーラ、
あんなにひいひい言っていたのに
退院が決まると顔色の声の色も変わり、
痛みまでなくなってしまう勢い。
家族ももちろん「Welcome!」
イタリアって、「家族」が一番の、何にも代え難い
お薬なんだな・・・と強く感じました。


日本の家族だったら、あんなひいひい言ってるシニョーラが
退院なんて聞かされたら
間違いなく
「心配だから完全によくなるまで・・」と言うだろうな、
きっと私も。

でもあのシニョーラの笑顔を見る限り、
回復はきっと早いでしょう。

おかげさまで私も無事家族の元へ戻り
ホントに手術したの??って思うくらい
元気にしています。